イスラエル野球紀行 第17回(最終回)
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2007年6月に中東の地・イスラエルでプロ野球が始まったのをご存じでしょうか? 『野球小僧』では昨年9月10日に発売された07年10月号の「ワールドベースボールレポート」にて、シーズン中に現地へ赴いた石原豊一氏によるのレポートを紹介しました。
ただし、ページ構成の都合で掲載は1ページ。そこで、石原氏が誌面に書ききれなかった道中の体験を「イスラエル野球紀行」としてご投稿いただきました。
以後、これまで週1回のペースで連載しておりましたが、今回はいよいよ最終回となりました。これまでの旅を振り返って、イスラエル野球について総括いたします。
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現地を去りしあと
シーズン最終戦、8月15日。
リョージュは今シーズン2度目の、そして最後の先発を果たした。残念ながら僕は帰りの飛行機の都合で隣国のヨルダンに向かわねばならず、実際に見ることはできなかったが、首都エルサレムのインターネットカフェからウェブサイトで彼の投球を確認した。
味方のエラーに足を引っ張られ、負けはしたものの、6回9失点、自責点3で完投をおさめた。プレーオフに備えてピッチャーを温存しておきたいチーム事情を考えると、十分な仕事をしたといえるだろう。
シーズン4位のタイガースは、16日のプレーオフ1回戦で、部屋に泊めてくれたコロンビア人ラファエル・ロハーノが完封。2回戦に進出したが、17日の試合では1位ブルーソックスのエース、フェリシアーノに3点におさえられてシーズンを終えた。
プレーオフ決勝は、シーズン3位から勝ちあがったモディーンとブルーソックスの元メジャーリーガー監督同士の対戦となった。
ヤルコンフィールドに2610人の大観衆を集めて、9回制で行われた試合は3対0でブルーソックスが勝利。IBL初代チャンピオンに輝いた。
この試合で完封勝利を挙げ、優勝投手となったラファエル・バーグストームは、フェリシアーノと並ぶ7勝、防御率4位の2.44、奪三振56。この成績が認められ、シーズン終了後、米独立リーグで最もレベルの高いと言われているアトランティック・リーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約を果たした。IBL出身者として最初のアメリカプロチームとの契約者である。
この国に野球が少しでも浸透してくれていることに拍手
それにしても、毎試合のように出るエラー、走塁ミスなど、選手のレベルの低さから来るつたないプレーが多かったイスラエルのプロ野球だったが、毎試合100人ほどの観客は懸命な選手達のプレーに大喜びだった。観衆のほとんどは「祖国」を目指してこの地に移住してきたアメリカ人である。長い間彼らは生国のナショナルスポーツ、ベースボールをテレビ中継でしか見ることができなかった。彼らは「生のプロ野球」に飢えていたのだろう。プレーの質はともかく、一生懸命の選手達に観客達は毎試合惜しみない拍手を送っていた。
あるファンはこう言っていた。
「そりゃIBLの選手のプレーはまだまだお粗末なものだよ。でも俺達はメジャーリーグのようなプレーを彼らに求めているんじゃないんだ。そんなものはテレビで見るからね。このリーグの雰囲気は、そう、マイナーリーグのやつだよ。選手と気軽に接することができて、その選手の成長を見届ける。それがこのリーグの醍醐味なんだ」
確かにこんなに選手との距離が近いリーグはないだろう。なにしろ試合中に選手と子供がキャッチボールしているくらいだ。それはまだまだ選手にプロ意識が欠けているから起こることであるのだが、IBLの使命のひとつに野球をこの地に広めるということがある。選手とのキャッチボールは子供達必ずやこのスポーツへといざなうことだろう。
それを可能にしているのが、スタンドもないこの国の球場だ。
野球創生期を思い起こさせるその風景、ことに畑を切り開いて造られたゲゼルフィールドはあの映画「フィールドオブドリームズ」を連想させ、この球場にはノスタルジアを求めるファンが足を運ぶ。
テルアビブのスポーテック球場敷地内、フィールドの横は空き地になっている。試合に飽きた子供達はここでキャッチボールをしているのだが、ここに2人の若者がいた。キャッチボールの姿は実にぎこちない。
聞けば隣のグランドでサッカーをしていたのだが、「プロ野球」なるものをやっているのを見て、チケットを買って入ってきたらしい。
「スポーツはなんでも好きなんだ」
という彼は、ついでにグラブとボールを買って、キャッチボールなるものをやっている。
IBLの各球場ではこのようなファンのために、野球道具が一式販売されている。こういう出来事に遭遇すると、IBLが草の根的に野球のイスラエルへの普及に貢献していることが実感できる。もはや、この中東の地でのプロ野球は、最初に発足したユダヤ系アメリカ人の発起人、ラリー・バラス氏の「祖国」=エレツ・イスラエルへの思いだけでなされているわけではない、ということだろう。
そして、後援しているMLBの目論みとしては、新たな市場、選手供給地、そしてその選手の育成の場の開拓という側面もある。フリーエージェント制導入後、高騰する人件費抑制のため、MLBは中米野球への支配を拡大してきた。このIBLのスタートもその延長線上にあるといってよい。純粋なビジネスとしては1試合100人程度の興行など成立しない。このリーグはMLBの先行投資であり、マイナーリーグのひとつなのだ。
僕は野球が大好きだ。だからどのような理由であれ、野球が世界に広がって行くことは喜ばしい。このすばらしいゲームを中東のこの地に伝えたバラス氏に拍手を送りたい。
「約束の地」を目指すように
さて、シーズンが終わり、選手達は今ごろどうしているのだろう。米国人やカナダ人の多くは「ロングバケーション」を終え、ユニフォームをスーツに着替えて元の仕事に戻ったことだろう。
また、ある者は新たなプレー先を求めて、アルバイトをしながら地元のクラブチームに、ドミニカンやコロンビアンは米国の独立リーグや中南米のウィンターリーグに新たな活躍の場を見出しているかもしれない。
イスラエル人のルーキー達は…。彼らに避けて通れない壁、兵役が待っている。このことはブルーソックスのレイクマンに聞いたのだが、高校を卒業したばかりの彼はシーズンが終わると実家のあるキブツ・ゲゼルに戻り、ゆっくるする間もないまま、祖国を守るため兵役につかねばならない。
そしてリョージュ。彼は自分の夢を叶え、そして自分の力を十分に知った。帰国後は就職活動をすると言う。
「ここであきらめたら、日本に帰ってなにをやってもまた中途半端に終わると思ったんですよ」
はるばるイスラエルまでやって来た理由を彼はこう言った。寄り道ばかりの人生の中で、ただひとつ好きな野球をやり続けて「プロ野球」選手になった彼の姿勢には大いに拍手を送りたい。
結局、彼のマウンド上での姿は見ることはできなかったが、キャッチボールの姿、成績から見る限り、そのポーテンシャルがプロフェッショナルなそれに届いていないことは確かだ。そしてそのことは彼自身が一番よく知っている。
しかし、「IBL最初の日本人選手」としての彼の名は永遠に消えることはない。シーズン最終戦、おそらくプロとしての最後の登板において、マウンド上での彼は一瞬ではあるが野茂英雄(ロイヤルズ)になったに違いない。彼はイスラエルにおける日本人のパイオニアだったのだから。
IBLはチャンピオンシップ終了後、すぐに2008年のシーズン開始の日程を発表した。来年の6月には、またあの河川敷のグランドのようなスポーテックに、フィールドオブドリームズの丘、ゲゼルに、そして神宮外苑の軟式野球場のようなヤルコンに選手達は帰ってくるだろう。
世界中に散らばったディアスポラ達が、かつてこの「約束の地」イスラエル目指して集ってきたように。
この「エルツ・ボール」に。
<ご愛読、ありがとうございました!>
■石原豊一(いしはら・とよかず)
1970年生まれ、大阪府出身。圧倒的な行動力で、これまでアジア、アメリカ、中南米、ヨーロッパなどを渡り歩く「流離いの野球好き」。すでに世界各国200を超える球場で野球を観戦してきた。イスラエル野球リーグが開幕すると聞いて、今回も早速現地へひとっ飛び。異国の野球熱を思い切り体感してきた。
※石原豊一氏による北信越BCリーグ開幕時のレポートはコチラ
→http://kozo.boxerblog.com/kozo/2007/05/post_4ba1.html


観客席で談笑する兼任コーチのパールマン。まさか、このあとマウンドに上がるとは…
ブルーソックスの4番ロペス。この日はヒットを放つなど活躍した
テルアビブのショートを守るフランコは3Aの経験もあるドミニカンだ
ブルーソックス先発投手で、今年46歳のガードナーは、満足げにマウンドを降りた
バーベキューの様子。リラックスムードの中、監督やコーチ、キャプテンの挨拶が始まった
イスラエルリーグの応援に来ていた子供たち
テルアビブのスポーテック。スタンドというより草野球グランドというイメージだ
ゲゼルフィールドの観客席。後方に5段ある木製のスタンドが見える
テルアビブ・ライトニングの4番打者、ネイト・フィッシュ